2021年02月05日

静岡SBSラジオ「鉄崎幹人のWASABI」に出演し、剱岳のミステリーについてお話ししました!

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2月4日、静岡SBSラジオの「鉄崎幹人のWASABI」に出演し、北アルプスの剱岳のミステリーについてお話ししました。私の社会人としての初任地は朝日新聞の富山支局。昔、年末年始に富山県警山岳警備隊と一緒に山籠もりもしましたにこにこお時間あればご視聴ください。

https://radiko.jp/share/?sid=SBS&t=20210204121152

以下、番組スタッフに送ったメモです。

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SBSラジオ「鉄崎幹人のWASABI」

国際ジャーナリスト、高橋浩祐

テーマは「剱岳」

皆さんは北アルプスの剱岳(つるぎだけ)をご存じでしょうか。

その名前が示すように、剱が天を突き刺すかのごとく、鋭く、そして、険しい山です。ごつごつとした断崖絶壁の日本有数の岩山として知られています。標高は2999m。古来から「地獄の山」「登ることがタブーの山」「禁忌の山」とも呼ばれていました。

今日はこの山をめぐるミステリーについてお話したいと思います。

その前になぜ私が剱岳について興味を持ったのか。

実は社会人としての一歩を踏んだのが、朝日新聞富山支局での新聞記者生活でした。初めの2年間は警察担当記者になりました。そして、当時朝日新聞富山支局の伝統だったのですが、1994年冬の年末年始、剱岳の登山口にある馬場島という場所で、富山県警山岳警備隊と一緒に山籠もりしました。年末年始の冬山遭難に備え、朝日新聞は毎年、剱岳の登山口で遭難取材の待機をするのが習わしでした。

関連記事:1995年1月9日朝日新聞富山版 それぞれの「剱岳」

さて、その剱岳ですが、明治時代の初期までは、前人未到の難攻不落の山として恐れられていました。昔は今と違って、登山専用の特別の靴もロープもアイゼンもピックルも服も開発されていませんでした。もちろん登山道もありませんでした。道なき道を登らざるを得ない状況でした。

そんな中、1906年(明治39年)、日本陸軍参謀本部の測量官、柴崎芳太郎(しばざき よしたろう)に対して、未踏峰とされてきた剱岳への登頂と測量の命令が下りました。それは日本地図を作るための最後の空白地帯でもあった剱岳を制覇するという重要かつ困難を極める命がけの任務でありました。柴崎は当時31歳。「死ヲ賭シテ最後ノ登山ヲ試ミマシタ」と記録に書き残しています。

その剱岳の初登頂をめぐっては、この日本陸軍の測量隊と民間の日本山岳会が競争し、柴崎率いる陸軍測量隊が明治40年(1907年)に最初に登って、勝ちました。

ところが、なんと山頂に奈良末期から平安初期に作られた錫杖頭(しゃくじょうとう)と呼ばれる杖の頭と、鉄剣が残されていました。1000年前に平安時代の行者(修行僧)が運び、すでに登頂されていたことに陸軍測量隊もびっくり。陸軍本部は当初、登頂に成功し、大々的に世に宣伝しようとしていましたが、1000年も前にすでに登られていたことがわかり、がっかり。ニュースにもせず、なかったことにしました。

山頂に残された 平安時代のペンダントのような(錫杖頭)と鉄剣は富山県の立山にある博物館に展示されており、私も以前、見に行きました。神々しかったです。

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このお話、新田次郎の小説『劒岳 点の記』で書かれ、映画にもなりました。

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ちなみにその新田次郎さんは、富士山測候所を作りましたね!

富士山の山岳信仰もよく知られていますが、平安時代の行者さんの剱登頂は、立山連峰での山岳信仰の深さを思い知らされます。

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posted by Kosuke at 21:49| Comment(0) | ラジオ出演